ABOUT

三岳さやによる抽象絵画、マルチプル(量産作品)の販売を行なっています。

自分自身の細やかさに気がついたのは、社会人になってからでした。若い頃にデッサンなどで鍛えたモノを観る目以上に、多くの人とは違う、世界への解像度の高さは、同時に生き難さでもありました。わたしはそれを「表現をするには素晴らしい資質」として捉えていました。

 

その一方で、表現をするのはとても怖いことでした。絵画は、言葉やイラストのようには、全く嘘がつけなかったので、自分のたわいなさが簡単に露呈してしまうからです。特に自分のさみしさや、突き詰めることを恐れる弱さ、といったものに対峙することをわたしは拒みました。

 

ある時に、友人として出会った臨床心理士の方から「あなたは、普通の人のフリをして、感じていることの1/10も表現していない」と言われ、衝撃を受けたのを覚えています。

 

その後間もなく大尊敬する前衛芸術家の方が、夢に現れて「あとは任せたわ」とおっしゃってくださいました。その夢が体感のある、かなりリアルな夢であったことから、わたしはそれを、ただの夢として、通り過ぎることが出来ませんでした。これが、絵を描くことに対して、扉の開かれたタイミングでした。

 

誰も傷つけずに、この世の美しさや、穢れを表現するには…わたしには、抽象絵画しかないのです。表現しきれないものをやるための手法選択でした。言葉より先に、描くことがあったわたしにとって、「2歳から絵筆を持っているからこそ、見えている世界」というのは、確かにあるのかもしれません。

 

思春期には、小説を書いていました。そしてその後は、イラストやデザインを学び、仕事にもしました。天然石という自然の色彩を用いたジュエリー制作も行いますが、これらの手法では、表現出来ないものが、抽象画として表れます。

 

それは、瞬間に通り過ぎていく生々しい感情なのだろうと思います。瞬間的な感情を捕まえるためには、デジタルツールを。奥底に眠るような感情を掘り起こすためには、シャープペンシルを使います。そして、この喜怒哀楽を愛おしむことは、描き手にとっても、鑑賞者にとっても、とても豊かなことであろうと考えています。

 

感情を覗いて、触れることは、決して怖いことではありません。恐ろしいのは、自己受容の難しくなっている状態なのだと思います。言葉は、その時少し邪魔なモノなのかもしれません。感情を愛でる楽しさを、わたしは自身の創作活動や、ワークショップを通して伝えていきたいと考えています。

 

 「みなさんの感情は、どんな色と手触りをしていますか?」 。創作活動を通じて、このような問いかけを、世界中に広げていきたい。 それが、今あるわたしの願いです。

Saya Mitake

東京を拠点に活動するアーティスト。絵画、ジュエリーデザイン、グラフィックデザインほか、幅広い分野で豊富なキャリアを持ち、NYのギャラリーからも注目される。

 

描くことを通じて、自身の感情にやわらかなカタチを与え、小説を書くことで個人の内面と世界との関わりに言葉を与え、ジュエリーを通して自己発見の感動を促す。

 

iPadやiPhoneを使って抽象絵画を描くオリジナル・ワークショップでは、色彩心理学をふまえた様々な手法を用いて、多くの人に、楽しく「自らの感情に触れる機会」を提供もしている。

Her History

アーティスト一家に生まれる。幼少期から美術館などで本物の芸術に触れており、2歳から絵筆を持って描くものの、思春期には、絵を描くことが出来なくなっていた。中学生の頃に自分で描いたものを見て、自分の在り方の全てが透けて見えることに恐怖感を抱き、その絵を割った。それ以来、イラストレーションに傾倒し、絵画を描くことは封印していた。

変化は2015年に。夢の中で、大尊敬する前衛芸術家に「あとは任せたわ」と言われたことが創作を始めるきっかけになった。

 

その後しばらくした或る夜、内面にフォーカスし、外的な刺激から逃れるために、月明かりだけでベニア一枚の大きなアクリル画を描き、抽象が自分のスタイルであることに気づく。この時初めて、心に表れる景色を表現する楽しみを知る。

 

他人の期待に応えなければいけない、上手く描けなくてはいけないと思い込み、気持ちやコンプレックスを隠して表現を選んでいた自分から、ようやく解放される。空白のキャンバス(例えそれがデジタルであっても)は、感情を自由に発散できる場所だと気がついた。

 
2018年10月から抽象画家としての活動を本格的にスタート。

 

そこから一年余で500枚以上の絵画を描く。抽象絵画は情報を圧縮し、内なる葛藤、喜怒哀楽や愛、世界の美しさなど、言葉になる以前の深い感情を表現・昇華させることが出来ると信じている。